会社概要
社 名 |
株式会社離合社 |
本社 |
東京都文京区本郷6-19-7 |
さいたま事業所 |
埼玉県さいたま市緑区原山3-14-20 |
大阪営業所 |
大阪府大阪市天王寺区南河堀町9-43 天王寺北口ビル505 |
創 業 |
明治11年6月1日 |
設 立 |
昭和8年12月5日 |
資本金 |
15,000,000円 |
代表者 |
村橋 愼介 |
加盟組合 |
日本科学機器団体連合会、東京科学機器協会、 |
取引銀行 |
みずほ銀行本郷支店、三菱東京UFJ銀行本郷支店 |
営業品目 |
■石油類試験器械 |
さいたま事業所案内図
大阪営業所案内図
沿革
1878年 明治11年 |
村橋次郎(内務省衛生試験所初代所長)の主宰する |
1912年 大正元年 |
村橋素吉、資本金30万円の「合名会社離合社」を設立 |
1915年 大正4年 |
大阪支店開設、東京、本郷工場を新設 |
1925年 大正14年 |
本社を日本橋室町に移転 |
1933年 昭和8年 |
村橋素一郎、本社を神田鍛冶町に移転社名を |
1937年 昭和12年 |
石油類試験器械の生産を強化 |
1943年 昭和18年 |
資本金を50万円に増資、浦和工場を新設 |
1947年 昭和22年 |
資本金を100万円に増資 |
1952年 昭和27年 |
工場施設を拡張、新しい試験室、研究室の設備を |
1957年 昭和32年 |
精密分留装置及び液化石油ガス試験器を新規製作 |
1960年 昭和35年 |
金属中ガス分析装置の自動記録化に成功 |
1964年 昭和39年 |
資本金1500万円に増資 |
1967年 昭和42年 |
自動動粘度測定装置の開発に成功 |
1970年 昭和45年 |
大阪営業所新築落成 |
1977年 昭和52年 |
村橋素介社長就任 |
1978年 昭和53年 |
中小企業新製品技術開発助成金による |
1979年 昭和54年 |
浦和工場の生産工場を新築、工場を拡充し生産態勢の確立 |
1985年 昭和60年4月 |
現東京工場あとに本社ビルを新築、それに伴う本社移転 |
1986年 昭和61年3月 |
RMT水温計の開発に成功 |
1989年 平成元年 |
創業111周年記念行事 |
1992年 平成4年 |
マルチプルコアラアーを開発 |
1994年 平成6年 |
中国大連に合資合弁会社 |
1998年 平成10年 |
創業120周年事業 |
2002年 平成14年 |
さいたま事業所開設 |
2006年 平成18年 |
「大連離合儀器有限公司」を清算 |
2010年 |
村橋愼介社長就任 |
2010年 平成22年 |
大阪営業所移転 |
2015年 平成27年 |
さいたま事業所に新社屋が完成 |
主要取引先一覧 (順不同・敬称略)
環境省、警察庁、防衛省、国立大学、国立科学博物館、国立極地研究所、国立研究開発法人土木研究所、海上保安庁、気象庁、管区気象台、各都道府県、国立研究開発法人海洋研究開発機構、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構、独立行政法人国際協力機構、一般財団法人日本自動車研究所、一般財団法人新日本検定協会、
一般財団法人電力中央研究所、一般社団法人全国石油協会、全国農業協同組合連合会、全国漁業協同組合、独立行政法人水産総合研究センター(中央・北海道区・東北区・日本海区・瀬戸内海区・西海区・遠洋・養殖)、水産工学研究所、国立研究開発法人産業技術総合研究所 等
㈱IHI、味の素ファインテクノ㈱、EMGルブリカンツ(同)、出光興産㈱、出光ルブテクノ㈱、NOKクリューバー㈱、エヌエス環境㈱、花王㈱、川崎重工業㈱、関西電力㈱、協同油脂㈱、キリンビール㈱、栗田工業㈱、コスモ石油㈱、サカタインクス㈱、サッポロビール㈱、三洋化成工業㈱、JXTGエネルギー㈱、シェブロンジャパン㈱、昭和シェル石油㈱、シェル ルブリカンツ ジャパン㈱、信越化学工業㈱、深海資源開発㈱、住友化学工業㈱、生化学工業㈱、西部石油㈱、大同油脂㈱、DIC㈱、チッソ㈱、電気化学工業㈱、東洋インキ㈱、東京インキ㈱、東京久栄㈱、東京電力㈱、東レ㈱、東レ・ダウコーニング㈱、ダウ・ケミカル日本㈱、㈱ニッペコ、㈱日水コン、日本空港給油㈱、日本ペイント㈱、日本グリース㈱、日油㈱、日本ルーブリゾール㈱、富士フイルム㈱、芙蓉海洋開発㈱、松村石油㈱、丸善石油化学㈱、三井化学㈱、三井造船㈱、三菱ガス化学㈱、ユニマテック㈱、ライオン㈱ 等
創設者と離合舎
幕末から明治維新にかけて西洋理化の教育啓発に大きな力となったオランダ人科学者ハラタマ。ハラタマに長崎の精得館(現、長崎大学)で学び、やがて助手となり後に舎密局(明治元年(1868年)大阪に設けられた理化学研究教育機関)、理学校、開成所と変遷する化学教育の舞台で化学教授として活躍した村橋次郎。日本の化学教育の草創期に教育者として又、薬剤官、内務省衛生試験所長を歴任する傍ら、国内では手に入れ難い研究機材、薬品欲しさに明治11年(1878年)東京銀座3丁目に自ら輸入商社「離合舎」を創設しました。
わが国最初の化学書「舎密開宗」の中で化合と分離を「離合」と呼称したのが社名の由来と言われています。
村橋次郎の知られざる功績は「味の素」の発明端緒を拓くこととなった池田菊苗博士に少年時代大阪で化学の基礎を教えたことで、この事実は「池田菊苗博士追憶録、昭和31年10月1日発行、非売品」に遺稿の中で明記されています。
余談ながら、中国で「離合機」はクラッチを意味する言葉です。
このホームページでは、離合社の製品を紹介するとともに、技術的な情報も提供しています。
このホームページをお役立てください。
離合社歴史資料室
Rigo’s History Library
当社創業当時の海洋関連機器カタログをご覧頂けます。
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